連載・つくることで僕たちは/菊池謙太郎/エピソード9:旅に出る理由を見つける
【SERIAL STORY】We weave threads of affection by Kentaro Kikuchi ep9 -Create a reason for traveling-
2024年の6月に、はじめての自費出版をした。自ら立ち上げたオンラインショップで販売し始め、しばらくして書店に直接営業をしてみることにした。まずは近所のよく行く本屋さんへ。そして都内の相性の良さそうな本屋さんに範囲を広げ、次に東京以外の自分で足を運べそうな場所にある本屋さんにもアタックしていった。有難いことにたまには本屋さん側からの注文もあったりして、少しずつ販路が増えた。あるときは帰郷のついでに途中下車して、本屋さんに立ち寄り納品することもあった。流れ作業のようだった里帰りがちょっとした小旅行みたいになって、旅行の幅が広がったような気がした。
その夏、妻子と3人で熱海へ旅行に行った。娘が好きな井上涼さんというアーティストの公演を観に行くためだ。井上さんは、世界中の美術作品に独自の解釈を施して、独創的な歌詞をつけ楽曲を制作、それに自身のつくったアニメーションを組み合わせた映像作品にして発表している天才的なアーティスト。Eテレ「びじゅチューン!」で見かけて以来ファンになったのだった。熱海市にあるMOA美術館で開かれている「びじゅチューン!ライブ in 能楽堂」はいつもチケットが即完売してしまうほどの人気で、僕たちも発売開始の瞬間に夫婦でスマホとパソコンを駆使して何とか座席を確保した。当日の会場には井上涼ファンたちが彼の描いたキャラクターに扮して集まり、ちょっとしたコスプレイベントのようになっている。我々も2年連続コスプレで参加した。娘は「見返り美人」に、妻はその見返り美人をモチーフにした曲「見返りすぎてほぼドリル」のアニメに登場する町娘「おみつ」、僕はアルフレヒト・デューラーの「自画像」に扮した。ソバージュヘアのカツラを被り髭は自前、自画像ということで僕は額縁のフレームまで持参。それが功を奏してライブ中には井上さん本人から少しイジられた。作戦成功。嬉しくて心の中で密かにガッツポーズをしたが、どう考えても自分ではなく娘がイジってもらえるように考えるべきだった。と、後から娘に嫉妬されて気づいた。実に大人気なかった。
1年目はそのライブを観た後、熱海の街を歩き回って楽しんだが、2年目の今回は熱海から三島に移動し宿泊することにした。三島にはヨットという本屋さんがあり、そこで拙著「LIFE HISTORY MIXTAPE」を取り扱ってもらっていたので、少し足を伸ばして立ち寄ろうと思ったのだ。しかも当初は前月に予定されていたヨットの周年イベントが、台風の影響でちょうどその日にずれ込んでいて、その巡り合わせにも背中を押された。当日は熱海から三島に移動した後、近くに住んでいる友人・佐野くんと合流して彼オススメのうなぎ屋さんで夕食を取った。食べ終わると街はすっかり暗くなっていて、夜道を歩いてヨットへ向かうと暗い道の先に一軒だけ灯りが漏れている建物があり、すぐにそれだと分かった。
グッド・パーティーだね
ヨットは道に面している側が一面ガラスで、中の様子が見えた。ロボ宙さんのライブが終わったところらしく、緩やかな音楽が流れる中、程よい混み具合でお客さんがみんな楽しそうだ。こちらは東京から移動してコスプレして井上涼さんのライブを観て、また移動して1日遊んできた。疲れているはずの娘がどのくらいこの場を我慢できるのか心配しつつ、中に入ってチケット代を払った。娘のご機嫌次第で本当に立ち寄れるかどうかは定かではなかったので、店主の菅沼さんにはお店に寄る事は伝えていなかった。イベントの最中でバタバタとお客さんの対応もしている菅沼さん。つい先日取り扱い始めたばかりの本を売り込んできた男が、予告もなしに東京から家族を連れて目の前に現れたので、いきなり挨拶した時は混乱しただろう。ちょっと申し訳なかった。
イベントには、同じく拙著を取り扱ってくれている本屋さん、東京・代田橋のバックパックブックスの宮里さんが出店されていて、僕が立ち寄ったことをとても喜んでくれた。お酒を飲みながらいろいろ雑談して、ぐっと距離が縮まった。これだけでも来た甲斐があったが、長野のイラストレーター・ナカムラルイさんの個展が同時開催されていて交流できたり、このニュースレターを配信しているinch magazineの菅原さんと知り合えたのもこの日だった。とてもゆるくて平和な空気が流れる素晴らしい空間。娘はといえば、僕がその面々と談笑している間、佐野くんに構ってもらっている。普段なら寝なければいけないはずの時間に起きて大人たちに混ざっている特別感もあり、楽しそうだ。バックパック宮里さんと話し込んでいると、さっきまで店先のベンチに座っていた娘がこちらにやってきた。「そろそろ帰ろう」とでも言われるのかなと思いながら娘に耳を近づけると、こっそり「グッド・パーティーだね」と耳打ちしてきた。思わぬ一言に吹き出してしまった。あとから佐野くんの入れ知恵だったと知ったが、これには笑った。本当にグッド・パーティーだった。
ひとしきり楽しんでからお店を後にしてホテルへ。娘も僕たちもあっという間に寝てしまった。翌日は三島を周遊。昨日会ったナカムラルイさんのインスタを覗いて美味しそうだった近所の果物屋さんのフルーツジュースを飲みに行ったり、その近くの小川で水遊びしたり、普段の姿に戻ったヨットをあらためて見に行ったり。ヨットに向かって歩いていたときには、東京へ戻るロボ宙さん一行を乗せた車とすれ違った。車の窓から楽しそうに手を振ってくれるおじさんたちの姿を見送りながら、「カリオストロの城」のラストシーンみたいだと思った。
ヨットに着くと、娘は僕の本を探して「とと(僕のこと)の本、ここに置かれてるよ!」と嬉しそうにしている。昨夜とは打って変わって外光がたっぷりと降り注ぐヨットの店内が綺麗すぎて、思わず昼過ぎなのにビールを頼んでしまった。
プロフィール
菊池謙太郎/1976年青森県生まれ。映像ディレクター。音楽番組・バラエティー番組の演出の他、ドキュメンタリー映像などを制作。ラッパーに子供の頃の話を聞いたインタビュー集の2作目『LIFE HISTORY MIXTAPE 02』発売中。
ABEMA『ラップスタア』にディレクターとして参加。お笑いコンビ・エレキコミックの周辺映像を担当。書籍『東京の生活史』(岸政彦編)参加をきっかけに生活史の聞き取りをはじめる。